杉山研究科長

人間・環境学研究科 研究科長
総合人間学部 学部長
杉山雅人

 

人間・環境学研究科棟

 旧制第三高等学校以来の歴史を背景にもつ京都大学教養部の廃止に伴い、旧教養部の教員組織を母体にして、1991年に大学院人間・環境学研究科、1992年に京都大学の第10番目の学部として総合人間学部が設置されました。人間・環境学研究科と総合人間学部は、以来、互いに連携をとりながら学部と大学院の教育・研究を進めてきました。そして両部局は2003年に一体化され、人間・環境学研究科は総合人間学部に基礎を置く大学院となり、総合人間学部の殆んど全ての教員は人間・環境学研究科の教員として学部と大学院双方の教育・研究に携わっています。このような歴史をたどりながら、人間環境学研究科と総合人間学部は、創立以来、現在に至るまで20年余の時を数えてきました。

 この20数年は文字通り激動の時代であり、地球規模で、だれもが予想しえなかった出来事が相次ぎました。人間・環境学研究科が設置された1991年にはソビエト連邦が解体し、冷戦時代は終わりを告げました。その10年後の2001年には、ニューヨークの世界貿易センタービルが爆破、崩壊させられ、この事件をきっかけにアフガニスタン、イラクでは戦争状態が勃発しました。その余波は現在まで続いています。更にその10年後の2011年、日本では東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故が発生しました。この災害・事故の影響は今なお計り知れないところがあります。このようないくつもの世界史的事件と並走するかたちで、インターネットの普及を中心とする情報環境の劇的な変化がありました。この20数年の間にコンピューターは私たちの生活を一変させてしまいました。

 大学院人間・環境学研究科と総合人間学部の歴史は、この激動の時代の歴史と重なります。地球温暖化問題、エネルギー問題、民族間問題といった前世紀以来の諸問題に加えて、これまでとは質を異にする地域紛争が人類に新たな課題を突きつけている、まさにその時代に、この二つの教育研究組織は自らの歴史を刻んできたわけです。こうした難問山積の時代は、学術の存在意義が根底から問われている時代にほかなりません。人間・環境学研究科と総合人間学部は、学術の意義を真摯に問い直すことを通して、この時代の要請に応答しようとしてきました。

総合人間学部棟

 「学術を社会に開く」ことがその応答の具体的内容です。課題山積の社会に向かって学術の成果を発信し、その成果を社会で共有する。そのことを通して問題解決にできうる限りの貢献をなす。これらの実現に向けて、文系・理系の諸学問分野が日々努力を続けています。人間・環境学研究科で学ぶ大学院生には、それぞれの専門分野での独創的な成果が求められ、総合人間学部で学ぶ学生にも専門分野での研鑽が求められます。しかし同時に人間・環境学研究科と総合人間学部の学生には、「学術を社会に開く」という精神に従って、その学問上の成果を初修者や非専門家、市民に対し、説得的かつ魅力的に語ることが求められます。「研究を語る」という教育課題です。このことによって人間・環境学研究科と総合人間学部においては、専門分野の世界に身を置きつつもその専門の垣根を越えていくという精神が醸成されていくことになります。

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