倉石 一郎 (くらいし いちろう)教授
| 研究科: 専攻等/講座 | 人間・環境学/人間・社会・思想 |
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| 学部: 講座 (学系) | 人間・社会・思想 (人間科学系) |
| 所属機関/部局 | |
| 電子メール | kuraishi.ichiro.2v(at)kyoto-u.ac.jp ★研究生については本ページ上部の記載をご覧下さい |
| 個人ページ | Website |
| 研究分野 | 教育学・教育社会学 |
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| キーワード | 教育社会学、包摂と排除、教育福祉、マイノリティと教育、米国学校改革史、社会問題の教育化 |
| 研究テーマ | ●教育社会学は大きく言えば教育と社会とのつながり、社会のなかの教育のあり方を探求する学問である。日々メディアをにぎわせ、早急な対策を必要としているいわゆる「教育問題」の数々には一市民として大いに関心をもっている。しかし自分が研究者として関心をもったり惹きつけられている事象はいささかそれらとは異なる。近代学校制度はむろん私の研究にとって重要な関心ではあるが、私がひきつけられるのはその「原初状態」とも呼ぶべきものだ。就学義務が課せられている年齢の子どもが貧困やら家の事情でちゃんと学校に来ない、とか(日本の長欠不就学問題)、そもそも教室が一つしかなく教師も一人だけで授業日数もそろっていない学校(米国のワンルームスクール)とか、そういった類のものが私の考える原初状態である。こうしたことに思いを馳せたり、事実関係をほそぼそ調べることは物好きのきわみかもしれない。だが原初状態を見とどけることは、巨大化し官僚制化したいまの学校制度の姿が絶対的なものではなく、はかない虚構の上になりたつに過ぎないことを教えてくれる。こうした事柄にふれて、出口の見えない閉塞感に苦しむ者の気が少しだけでも軽くなってくれればうれしい。重苦しい語り口を避け、しかしその愚かしさを指摘する自分なりの方法を実践した成果物が『テクストと映像がひらく教育学』『映像と旅する教育学』である。 ●この10数年、学校現場で排除を受けたり周縁的位置に立たされている子どもの問題に福祉的視点から取り組む実践者の存在に関心を持ち、日本とアメリカ合衆国の事例研究にとりくんできた(『教育福祉の社会学』、『増補新版 包摂と排除の教育学』、『アメリカ教育福祉社会史序説』)。近年ではインクルーシブ教育にも関心を広げている(共著書『みんなでつくるインクルーシブ教育』、共訳書『インクルーシブ教育ハンドブック』)また修士課程以来、被差別部落や在日朝鮮人、米国の黒人といったマイノリティ問題に関心をもち関心をもち続けている(『差別と日常の経験社会学』、訳書『黒人ハイスクールの歴史社会学』)。今後のテーマとして、社会問題の教育化(Educationalization of social problems)現象の日本・ヨーロッパ・北米の比較を考えている。この視角は、訳書刊行(『教育依存社会アメリカ』)や日本へのシンポジウム招聘(2019年11月)でご縁のできたスタンフォード大学名誉教授のデイヴィッド・ラバリー先生に学んだ。ドイツ語圏のヨーロッパではさらに活発に研究が行われており、それらに学びながら、マックス・ウェーバーの世界宗教の比較社会学研究を準拠枠組みに教育への宗教社会学的接近を試みていきたい。 |
| 代表的著書,論文等 | 【著書】 〔単著〕 ・『映像と旅する教育学:歴史・経験のトビラをひらく』昭和堂、2024年 ・『教育福祉の社会学:〈包摂と排除〉を超えるメタ理論』明石書店、2021年 ・『テクストと映像がひらく教育学』昭和堂、2019年 ・『増補新版 包摂と排除の教育学:マイノリティ研究から教育福祉社会史へ』生活書院、2018年 ・『アメリカ教育福祉社会史序説:ビジティング・ティーチャーとその時代』春風社、2014年 ・『包摂と排除の教育学:戦後日本社会とマイノリティへの視座』生活書院、2009年 ・『差別と日常の経験社会学:解読する〈私〉の研究誌』生活書院、2007年 〔編著〕 ・倉石一郎編/倉石一郎・江口怜・宇内一文・山口刀也・岡田泰平・岩下誠・西﨑緑・細井勇・呉永鎬著『媒介者とマイノリティの教育社会史-人と教育をつなぐ』昭和堂、2025年 〔共著〕 ・平野智之・菊地栄治編/木村泰子・倉石一郎・中田正敏・油布佐和子・池田賢市著『みんなでつくるインクルーシブ教育』アドバンテージサーバー、2023年 ・岩下誠・三時眞貴子・倉石一郎・姉川雄大『問いからはじめる教育史』有斐閣、2020年 ・好井裕明・山田富秋編/蘭由岐子・倉石一郎・杉浦郁子・風間孝・山本薫子・倉本智明・寺本晃久・東村岳史『実践のフィールドワーク』せりか書房、2002年 〔分担執筆〕 ・Hideo Nakazawa (ed.) Key Texts for Japanese Sociology, (Wataru Nakazawa;Ichiro Kuraishi; "Education policy, educational practice, and evidence-based policy", pp.215-223), Sage, 2025 ・後藤玲子・新川敏光編『新 世界の社会福祉 第6巻アメリカ合衆国/カナダ』(「アメリカ社会福祉論のミッシングリンクとしての《教育支援》小史:ビジティング・ティーチャーの時代と人種・エスニシティへの対応」183-209頁)旬報社、2019年 ・日本教育社会学会編、本田由紀・中村高康責任編集『教育社会学のフロンティア1 学問としての展開と課題』旬報社、2019年(「『貧困』『ケア』という主題の学問への内部化:教育社会学における排除/包摂論の生成と残された課題」189-210頁)旬報社、2019年 ・志水宏吉編『岩波講座教育 変革への展望 第2巻 社会のなかの教育』(「戦後教育における「必要の政治」」43-72頁)岩波書店、2016年 ・佐藤郡衛・横田雅弘・坪井健編『異文化間教育学大系シリーズ 第4巻 異文化間教育のフロンティア』(第2章3節「インタビュー」56-70頁)明石書店、2016年 ・桜井厚・石川良子編『ライフストーリー研究に何ができるか:対話的構築主義の批判的継承』(「語りにおける一貫性の生成/非-生成」193-216頁)新曜社、2015年 ・稲垣恭子編『差別と排除の〔いま〕5 教育における包摂と排除:もう一つの若者論』(「包摂/排除論からよみとく日本のマイノリティ教育:在日朝鮮人教育・障害児教育・同和教育をめぐって」99-134頁)明石書店、2012年 ・好井裕明編『排除と差別の社会学』(「排除・差別問題における当事者とは誰か」41-57頁)有斐閣、2009年 ・教育の境界研究会編『むかし学校は豊かだった』(序章「学校に人は住まっているか」1-21頁、短文「写真屋さんとユーミン」65-69頁、「プロレス遊びと表・裏ルール」116-120頁)阿吽社、2009年 ・蘭信三編『中国残留日本人という経験:「満洲」と日本を問い続けて』(「『中国帰国生徒特別選抜入試』の挑戦」335-354頁)勉誠出版、2009年 ・Ryang, Sonia & John Lie (eds.), Diaspora without Homeland: Being Korean in Japan,( “”Pacchigi!” and “Go”: Representing Zainichi Koreans in Recent Cinema,” pp.107-120) University of California Press, 2009. ・荒このみ・生井英考編『アメリカ研究の越境6文化の受容と変貌』(「米国教育使節団報告書のコミュニケーション論的解読」63-84頁)ミネルヴァ書房、2007年 ・桜井厚編『戦後世相の経験史』(「ライフストーリー的想像力の射程と限界:高史明『生きることの意味 青春篇』を手がかりに」116-135頁)せりか書房、2006年 ・好井裕明編『繋がりと排除の社会学』(「おびえる日本社会、凝固化する在日朝鮮人問題:あるビデオドキュメンタリーを素材とした“超・メディア社会学”の試み」117-173頁)明石書店、2005年 ・中島勝住編『学校の境界』(「坊っちゃんの悲劇性」14-32頁)阿吽社、2003年 ・教育解放研究会編『学校のモノと境界』(「ヒトゴト(他人事)の教育学のための覚書:『モノ語り』から境界論へ」189-208頁)NAN工房、2001年 ・中島智子編『多文化教育:多様性のための教育学』(「『教育の語り』における画一性と多様性の問題:在日朝鮮人教育の場合」189-218頁)明石書店、1998年 ・上野恭裕・藤田博子編『現代教育学』(「学ぶことの意味するもの」35-62頁を田中裕喜と共同執筆)三晃書房、1997年 ・部落解放研究所編『地域の教育改革と学力保障』(「三世代におけるアイデンティティと生き方」145-164頁)解放出版社、1996年 【論文】 ・「後期近代社会における高等教育の「多様性」と「保障」:移民的背景を持つ日本の子ども・若者に焦点を合わせて」『高等教育研究』 28集、 147-167頁、2025年 ・「インクルージョンからトランスクルージョンへ:インクルーシブ教育を考える一視角」『教育と医学』73(2)、教育と医学の会編、12-17頁、2025年 ・「公教育を引き裂く二律背反と〈システム統合〉の隘路:教育の歴史的無意識の探求」『教育学研究』第91巻4号、462-474頁、2024年 ・「〈社会問題の教育化〉の古層をめぐる探索的研究:ウェーバー『職業としての学問』を起点として」『人間・環境学』33、1-13頁、2024年 ・「教育の自画像としての〈福祉〉理解とその批判:反省なき連携待望論への若干の懸念」『教育学年報』世織書房 14、205-216頁、2023年 ・「ニューヨーク市におけるADNS(地域放課後学校)とアデル・フランクリン:非白人児童をターゲットとした学校拡張運動に関する考察」 『人間・環境学』31、 1-14頁、2022年 ・「学力/アチーブメント概念の「弱さ」「受動」への転回 :福祉と教育の新たな関係性をひらくために」『福祉社会学研究』19、33-48頁、 2022年 ・「アガンベンから読み解く公教育における〈包摂と排除〉問題」『〈教育と社会〉研究』31、29-38頁、2021年 ・"Why is Educationalization Ubiquitous but Marginal in Japan? : A Consideration on a Different Background of School Reforms" Educational Studies in Japan: International Yearbook No. 15, pp.83-94, 2021 ・「教育研究における無意識的思考と社会事業史研究の意義:高知県の福祉教員と福祉教育(同和教育)に関するわたしの研究事例から」『社会事業史研究』58、25-46頁、2020年 ・“The Significance of the Disappearance of “Diverse” from “Guaranteeing Educational Opportunities”: An Interpretation from the Viewpoint of the Victory of Formalism and the Educational Consumer” (trans.by Nadezhda Murray)Educational Studies in Japan: International Yearbook 14, pp.69-84, 2020 ・「教育機会確保」から「多様な」が消えたことの意味:形式主義と教育消費者の勝利という視角からの解釈 」『教育学研究』日本教育学会、85(2)、150-161頁、2018年 ・「革新主義期改革者における「北部黒人問題」認識と教育:ニューヨーク市公教育協会刊行『本市における黒人学童』(1915)再論 」『国際関係論叢』東京外国語大学国際関係研究所、7(1) 1-40頁、2018年 ・「生活・生存保障と教育のむすび直し・再論:公私融合の現実にどう立ち向かうか 」『教育学研究ジャーナル』中国四国教育学会 22、35-41頁、2018年 ・「戦後初期の中学校における長欠・不就学対策の実相:高知県初代福祉教員・谷内照義の個人メモを手がかりに」『日本語・日本学研究』東京外国語大学国際日本研究センター 7、37-66頁、2017年 ・「蟷螂の斧をふりかざす:社会調査における『向真実の時代』への抵抗」『現代思想』青土社、45(5)、100-111頁、2017年 ・「日本型「多文化共生教育」の古層:マイノリティによる立場宣言実践によせて」『異文化間教育』異文化間教育学会 4465-81頁、2016年 ・「対話的構築主義と教育実践研究を架橋する」日本社会教育学会年報『日本の社会教育』60、36-48頁、2016年 ・「生活・生存保障と教育をむすぶもの/へだてるもの:教育福祉のチャレンジ」『教育学研究』日本教育学会、82(4)、571-582頁、2015年 ・「ワンルームスクールの世界:アメリカ教育史を支えたうつわの肖像」『年報教育の境界』教育の境界研究会、12号、15-46頁、2015年 ・「「実践『埋め込まれ型』社会調査の隘路:米国ソーシャルワーク形成史からの教訓」『社会と調査』社会調査協会、第14号、36-43頁、2015年 ・「公教育における包摂の多次元性:高知県の福祉教員の事例を手がかりに」『〈教育と社会〉研究』一橋大学大学院社会学研究科、第24号、1-11頁、2014年 ・「爆発的拡大のための雌伏:米国ビジティング・ティーチャーの大恐慌時代」『国際関係論叢』東京外国語大学国際関係研究所、第2巻2号、49-84頁、2013年 ・「ビジティング・ティーチャーの「訪問」からの部分的撤退はなぜ起こったのか:知的障害児教育とのかかわりをめぐる一考察」『東京外国語大学論集』85、141-160頁、2012年 ・「ニューヨーク市における<制度化>以後のvisiting teacherの活動の変容:「学校に行かない子ども」への対応を中心に」『東京外国語大学論集』84、127-140頁、2012年 ・「コモンウェルス財団「非行予防プログラム」とvisiting teacher:1920年代における全米への活動展開期」『東京外国語大学論集』83号、125-142頁、2011年 ・「学校を基盤とする福祉的サーヴィスとその制度化をめぐって:米国におけるvisiting teacherの経験を中心に」『教育学研究』日本教育学会、78巻2号、38-49頁、2011年 ・“Poverty, Education and National Policy in the “Affluent Society” : A Comparison of the Unite States and Japan in the 1960s”, The Japanese Journal of American Studies(アメリカ学会英文ジャーナル)、22号、125-150頁、2011 ・「京都市における<福祉教育>の実態史解明に向けて:東九条地域における「希望の家」に注目して」『研究紀要』世界人権問題研究センター、16号、53-77頁、2011年 ・「<よむこと>と<きくこと>との往還:オーラル・ヒストリー研究における相互行為論的視点の含意」『応用社会学研究』立教大学社会学部、53号、123-137頁、2011年 ・「米国教育使節団報告書の「日本化」に関する研究(2):「機会均等」理念の実質化としての「定時制高校義務制」論と青年学校」『Quadrante:クァドランテ』東京外国語大学海外事情研究所、12/13号、39-52頁、2011年 ・「ビジティング・ティーチャーの黎明とニューヨーク市公教育協会1895-1913 :怠学・長欠問題の「発見」から学校機能の福祉化へ」『東京外国語大学論集』81号、133-154頁、2010年 ・“Improving Not merely school attendance but also what?: ”Fukushi Kyoin” (Social Work Teacher), Visiting Teacher and the Attempts to Enlarge the Social Functions of Pubic Schools ”『東京外国語大学論集』80号、49-67頁、2010年 ・「教育研究におけるインタビュー・データとの「つきあい方」とメタ理論:「無知の知」と「先回り型の知」のはざまで」『教育社会学研究』日本教育社会学会、84集、27-48頁、2009年 ・「教育叙述におけるモノとコト:廣松哲学からの基礎づけ」『年報 教育の境界』教育の境界研究会、第6号、11-18頁、2009年 ・「地方教育史研究におけるインタビューの可能性:紙の世界の向こうを張ろうとする<声>をきく」『フォーラム現代社会学』関西社会学会、5号、72-83頁、2008年 ・(研究ノート)「<社会>と教壇のはざまに立つ教員:高知県の『福祉教員』と戦後の同和教育」『教育学研究』日本教育学会、74巻3号、40-49頁、2007年 ・「米国教育使節団報告書の「日本化」に関する研究:文部省訳における“people”の訳され方に注目して」『Quadrante:クァドランテ』東京外国語大学海外事情研究所、9号、555~572頁、2007年 ・「坊っちゃんの悪夢:無記名性の暴力構造と教師の『原初的遅延感』を軸に」『年報 教育の境界』教育の境界研究会、4号、17-27頁、2007年 ・「紙の世界の向こう側での邂逅:オーラル資料と文字資料の併用をめぐる『未-経験』記」『日本オーラル・ヒストリー研究』日本オーラル・ヒストリー学会、2号、84-102頁、2006年 ・「<なんじ>のいる異文化間教育学への足がかり:<語り直し>プロジェクトの射程」『異文化間教育』異文化間教育学会、24号、2-11頁、2006年 ・「挑戦する『中国帰国者特別選抜入試』:その歴史・現状・課題」『アジア遊学』勉誠出版、85号、126-136頁、2006年 ・「戦後初期同和教育における越境性:<特殊>の含意を手がかりにした「教育制度学」的試み」『年報 教育の境界』教育の境界研究会、3号、13-23頁、2006年 ・「脱構築から他者の語り直しへ:「日本人性」の問いが異文化間教育・研究にもたらすもの」『異文化間教育』異文化間教育学会、22号、55-67頁、2005年 ・「公立学校における在日朝鮮人教育のリアリズムと公共性:1950-60年代の「朝問協」とりわけ玉津中学校における展開を中心に」『戦争と平和』大阪国際平和研究所、14号、101-116頁、2005年 ・「福祉教員制度の成立・展開と教育の<外部>:高知県の事例を手がかりに」『人権問題研究』大阪市立大学人権問題研究センター、5号、71-90頁、2005年 ・「<宿題>から見た解放教育:教育総動員体制論序説」『東京外国語大学論集』71号、181-196頁、2005年 ・「他者によって制作されたオーラル資料の再利用をめぐる考察:アーカイヴなき現状のなかで」(シンポジウム 〈残された声〉がもたらす豊穣:オーラル・ヒストリーの可能性とアーカイヴズの課題)『史資料ハブ地域文化研究』21世紀COEプログラム「史資料ハブ地域文化研究拠点」5号、29-36頁、2005年 ・「マイノリティにおけるセルフヘルプグループ的運動の可能性:グループありらんの事例に見る『語りのコミュニティ』の生成」『東京外国語大学論集』69号、175-194頁、2005年 ・「啓発におけるコミュニケーション構造と対話的関係:『対話型啓発』と『倉石モデル』の再検討」『リリアンス研究紀要解放研究しが』14号、15-25頁、2004年 ・「境界からの関係論の展開:「宿題」というコトの心性分析の試み」『年報 教育の境界』教育の境界研究会、創刊号、1-10頁、2004年 ・「宙をさまよう第一声:ライフヒストリー実践の『対話』性を問うために (シンポジウム 消えゆく声を聞く/見えないものを見る:オーラルヒストリーの可能性とアーカイヴの課題)」『史資料ハブ地域文化研究』21世紀COEプログラム「史資料ハブ地域文化研究拠点」2号、66-70頁、2003年 ・「滋賀県における社会啓発事業の実施内容に関する考察:「ワークショップ・参加型学習」の流布する状況下で」『リリアンス 研究紀要解放研究しが』13号、63-77頁、2003年 ・「啓発場面の相互行為分析:「対話型」における参加者のメンバーシップ問題に焦点化して」『リリアンス 研究紀要解放研究しが』13号、19-32頁、2003年 ・「正統的周辺参加(LPP)論の<教育批判>理論としての射程:受容の四類型の検討を手がかりに」『東京外国語大学論集』65号、41-59頁、2003年 ・「内側から切り裂く:『在日』における名前・名のり問題再考」『木野評論』京都精華大学、33号、199-212頁、2002年 ・「大学教育における日常性批判の可能性について:大学生対象の『在日朝鮮人論』の事例の自己分析」『人権問題研究』大阪市立大学人権問題研究センター、2号、21-39頁、2002年 ・「授業研究におけるディスコース論の射程:ミーハンの『I-R-E構造』論における<見立て>の方法を中心に」『人間・環境学』京都大学大学院人間・環境学研究科、10巻、33-46頁、2001年 ・「マイノリティ教育における<包摂>原理の再検討:1970年前後の大阪市における在日朝鮮人教育をめぐる『言説の交代劇』から」『教育社会学研究』日本教育社会学会、69集、43-63頁、2001年 【翻訳】 ・『インクルーシブ教育ハンドブック』北大路書房、2023年(共監訳) ・『教育依存社会アメリカ:学校改革の大義と現実』岩波書店、2018年(共訳) ・『黒人ハイスクールの歴史社会学:アフリカ系アメリカ人の闘い1940-1980』昭和堂、2016年(共訳) ・『アクティヴ・インタビュー:相互行為としての社会調査』せりか書房、2004年(共訳) ・『多文化教育事典』明石書店、2002年(監訳・共訳) 【事典類】 ・『異文化間教育事典』明石書店、2022年(分担執筆) ・『教育社会学事典』丸善、2018年(編集委員、分担執筆) ・『在日コリアン辞典』明石書店、2010年(分担執筆) |
| 所属学会,その他の研究活動等 | 日本教育社会学会(2023-2025年編集委員会委員長) 日本教育学会(2025年9月より近畿地区理事) 日本社会学会 日本オーラル・ヒストリー学会 教育の境界研究会(運営委員) |
| 担当授業 |
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| 経歴等 | 1992年3月 京都大学工学部衛生工学科卒業 1995年3月 京都大学大学院人間・環境学研究科(岡田敬司先生ゼミ)修士課程修了 1998年3月 京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程(岡田敬司先生ゼミ)研究指導認定退学 2000年7月 受 博士(人間・環境学) 2002年4月 東京外国語大学外国語学部助教授 2007年4月 同准教授 2009年4月 東京外国語大学大学院総合国際学研究院准教授 2013年10月 京都大学大学院人間・環境学研究科准教授 2017年4月 同教授、現在に至る |